シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

新年の始まりと本の修理の話/本=コモン論序説

明けましておめでとうございます。

今年も、また、あっという間に一年が過ぎていくかもしれませんが、なるべく有意義な年にしたいものです。(あと体調が良く合ってほしい!)

 

いやしかし、年始から石川県周辺では、強い地震が……。まだ被害の全容は判明していませんが、人的被害が少ないことを祈るばかりです。

 

と…。

新年、初めての更新。

今年は、1/1が月曜日(更新日)という巡りとなりました。

 

ミサゴの写真に2024年新年の文字

 

本の修理が帰ってきました

新年一回目は、だいたい、「藤井旭天文年鑑」をアンチョコに、一年間の星景撮影の見通しを書くのがテンプレだったのですが、今回は、元旦が更新ということで、その準備ができていません。

藤井旭さん、一昨年の年末にお亡くなりになってしまったので、今年の「藤井旭天文年鑑」が出るのかなと心配をしていたのですが、出ました。屋号をついで、ということなのか、これからも出してもらうとありがたいですね。ガチ天文勢ではない私のようなライトユーザーにはわかりやすくまとめられていて、撮影のイメージも立てやすい一冊です。

 

と、今回、書いておきたいのは、以前、製本工房ウェル・ブックスドクターさんに、修理に出していた志賀理江子著「CANARY」が、とうとう入院から帰ってきたお話です。

www.booksdoctor.com

 

まずは、修理前の写真から見てもらいましょう。

背表紙が外れてしまっている写真

背表紙が割れてしまってページがはがれかけている

「CANARY」は憧れの一冊で、いつか入手したいと古本を探し続けていたのですが、破損品が出品されて、これは、内容が見えるなら、全然かまわない(し、出せるお値段!)と思い即決。ただ、入手した時点で、上の写真のような状態で、本の背表紙側が大きく破損してしまっており、糸でぎりぎりページがくっついている状況でした。

 

これ、自分で修理できないかなと、色々調べて検討してみたのですが、なかなか、ハードルが高そうだったので、プロにお任せするプランBに変更し、発注していました。

それがだいたい11月の後半のこと。

 

製本工房からきた修理の内容(具体的には本文テキスト参照)

どのような修理をしていただいたかというと。

表紙を外して本文の背加工をクリーニングし見返しを交換して再背加工しました。

表紙は元のものを活かしました。

とのこと。

「表紙をはずして」の時点で、こいつは、明らかに素人が手を出すには、ハードルが高い。

「CANARY」は、かなり横長の本で、この背表紙に負荷がかかるんだと思うんですよね。なので、破損が起きやすいんだと思うのですが、入院から帰ってきたものは、想像以上にがっちりと修復されておりました。最高!

 

綺麗に治った背表紙

見開きページもきれいにくっつきました

いや、完璧。

プロはやっぱりすごい。

 

修理の流れは、以下の通り。

まず、メールに写真を添付し送信、ブックスドクターさんに簡易見積もりをしてもらいます。

大体の予算感がわかったら、実際の依頼に。

ブックスドクターさん宛に本を送ります。

先方で修復方法を検討し、本見積が送られてきて修理に入ります。

当初、3週間ほどということでしたが、実際は4週間ほどかかったでしょうか。

そわそわしつつ、静かに待っていました。

直ったら請求書とともに、返送されるので、修理費を振込みして終了。

(発送料はこちらもち、返送料はあちらもちです)

 

大まかにこんな流れでした。

料金は、修復方法などで上下するようですが、今回は(具体的に書いてしまうと)5,800円でした。

憧れの一冊の修理費としては、私としては、文句のつけようのない破格の代金で、ノータイムで修復を決めました。

 

本を生かすということ(本=コモン論)

ブログを長く見てくれている方には、伝わっているかもしれませんが、私は、古本や図書館がすごく好きなのですね。

もちろん、新刊も買います。本屋と出版社、著者の元に還元されるのも、本という文化が続けられるために、本当に大事ですから、意識をして買う場合も多いです。

ただ、古本や図書館というのは、大事な特徴があるんじゃないかと思っています。

それは、「本を生かす」ということですね。

 

本というのは、この資本主義の社会の中で、商品・消費物として流通しています。でも、本当は、本は値段がいくらかなどという、いわゆるコスパで測れる部分を越えた性格も持っています。本の内容が読まれ、人へ伝わることで、意味を生み出すという性格です。

商品・消費物の側面だけ見ていても見えてこない部分ですが、実際に大事なのは、値段(マルクス経済学でいう「価値」)ではなく、この意味を生み出す性格=使用価値の方のはずです。

これは、本は「コモン」(共有財)である、という考え方に通じています。

www.nhk.or.jp

コモンについては、この斎藤幸平氏の説明が分かりやすいので適宜参照してください。

みんなが共有できるものというイメージですね。

 

本というのは、誰が何度読んでも、その使用価値は減ることはない。(正確には、今回のように破損してしまい、読みづらくなって使用価値が減じることはあります。)

本質的には、本は、誰が何回読んでも良いんですよね。時間をかければ、何人でも何回でも読める。

 

図書館は、もちろん無料なので、この構図がわかりやすい。

誰かが借りていた本を、私も借りれば、私たちは読者として、何かしらの意味をそれぞれが受け取ることができます。

みんなが共有できる知、コモンです。

 

古本も似たような性質があり、一度読まれたから、とか、少し本に汚れがあるからなどの理由でもう一度、安く販売されます。基本的に、価値は減じているわけです。ただ、具体的な使用価値の方は価値=値段ほどは落ちていないことが多い。

商品・消費物の性質である価値=値段の影響力が少し減って、(「CANARY」はプレミアがついて価値が減ってないんですが、それは例外なので割愛。)コモンとしての使用価値はほぼそのままなので、本のコモン的性質が、より表に出てきています。

 

こうやって本質的に資本主義に包摂されきらないものとして本という存在があり、私たちがそれを読みつなぐことで、本が生きていく。

今回のように修理すれば、また、本がよみがえる。本の持つ素晴らしい性質です。

本を読み、本を生かしていく営みというのは、読者にとっては、本に生かされていく過程でもあります。

1ページごとに時間が進み、少なくとも、読んでいる間は、過去に書かれた本から意味を受け取りつつ、確実に少しずつ未来へ向かっていきます。

もちろん、その内容が、心の支えや実際の行動の変化として現れて、自分の生き方を換えていくということもあります。

本を生かしていくことが、本に生かされていくこと、という円環。

その中に、身を置けるということは、ありがたいことだな…と思います。

 

というわけで、今年もいろいろと読んでいきたい、と抱負。

このブログの初心は、受信者として、この世界を感じようということです。それは写真を撮るという形でもそうですし、本を読むということもそうです。

この一年、本と写真と、気長に付き合っていきたいと思います。

 

ではまた。

今年一年もまた、よろしくお願いいたします。