ということで。
撮影にもいかないといけないと思いつつ、忙しくていけてないのですが、ネタはある。
今回は、16日~18日の3連休に、限定公開された坂本龍馬の湿板写真原板を見に、桂浜の坂本龍馬記念館に行ってきた話をしておきたいと思います。
余談ですが、17日という連休中日に行った結果、すさまじい渋滞に巻き込まれまして、坂本龍馬記念館が見えてから1時間くらいかかりました(笑)
しかも、みんな別に坂本龍馬記念館に入っていくわけではなく、ただただ、桂浜を見に来ていたという。
そうかあ、桂浜の観光地としてのポテンシャルをなめていた。
昼間こんなに混んでいるのか。いつも夜、星を撮りにしかいかないから…。
坂本龍馬記念館は、それなりに人はいましたけど、特に待つことなく、駐車場にスッと止められました。
この自動車の列がみんな、湿板写真原板が見たいのかと思って戦慄していたが、そんなことはなかったぜ。
坂本龍馬湿板写真原板
では、さっそく。
これが、その現物!撮影可でした。ありがたい(ブログのネタ的に)
(ガラスケースの中に、水平に置かれていたので、斜めからしか撮れなかったのですが、NIKのパースペクティブをいじる機能で、正面から撮ったような形に補正しなおしています。あんまり使ってなかったけど…この機能すごいな…)
撮影は慶応2年か3年とのこと。西暦でいうと1866年か、67年。
ニセフォール・ニエプスが最初の「写真撮影」(と呼べるもの)をしたのが1826年と言われています。ニエプス当時の写真は、まだ、露光時間もすさまじく長く、何より複製ができないという、制約が強いものでした。
この坂本龍馬の湿板写真は、ガラスに感光材を塗布して撮影。露光時間は5~10秒と言われています。複製も可能で、鶏卵紙をこの湿板写真に密着させた上で、太陽光に当てることで湿板写真がネガとなり、ポジ写真を得ることができました。
ただ、面白いのは、この湿板写真原板そのものも観賞用として使うこともできたようで、上の図のように、後ろに黒い紙などを敷き、ネガ→ポジ変換をすることで、原板を鑑賞する場合もあったようです。
写真誕生から、40年で、写真が急速に改良され、世界に広がっていたのがわかります。
さらに言えば、トルボットがネガ・ポジ法を確立して「自然の鉛筆」を著したのが、1844年ですので、そこからなら、わずかに20年。写真という技術がいかに世界に待たれていたか、ということですね。
撮影者は井上俊三。
私は、ずっと、上野彦馬の撮影だとばかり思っていたのですが、知識がアップデートされていなかった。
井上俊三は、土佐から派遣され上野彦馬の門下生になっていた人物で、坂本龍馬とも生家が近く、幼馴染の関係にあったようです。ということは、龍馬の生誕地がある高知市上町のあたりになりますね。
おそらく、井上俊三は、高知で、最初の写真家と言ってよい人物だと思われます。当時、大変高価な写真機(現在の価格では1,000万円以上とも)を、土佐藩の財政で買い与えられ、写真を撮っていたようですので、土佐藩お抱えの写真師という立場で、当時最先端の上野彦馬写真館で、技術習得をしていたということなのでしょう。
いずれにせよ、湿板写真原板は、日本写真黎明期の姿を今に伝える、写真史的にも非常に貴重なものですね。
良いものが見れた。
坂本龍馬記念館
坂本龍馬記念館は、外観も特徴的で、宇宙船のような見た目で、太平洋に向かって突き出しています。
屋上からは、太平洋が一望できますので、何かの際には、お立ち寄りください。
ではまた。
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