はい。というわけで、前回も少し、書いたのですが、星の撮影300夜に到達しました。
ですので、ちょっと300回を振り返ってみたいと思います。
と、その前に、記念すべき300夜目の写真を上げておきましょう。
300の夜を越えて
PENTAX K-3 MarkⅢ レンズ HD DA★11-18mm アストロズーム 焦点距離 11mm
ISO8000 SS30秒 F2.8 アストロトレーサーType2
2022.05.22 高知県にて
記念すべき300夜目。
なのですが、空の状態は、少し薄雲が出ているような感じで、天の川もベストな状態ではなかったかもしれませんね。
でも、撮り続けるということは、まさにそういう事なのかなとも思います。
状態の良い日も、悪い日も一夜一夜を重ねていく。
どこかにたどり着くというよりは、そうやって、少しずつでも歩き続けることが大事なように思っています。
最初に、星撮影(星景写真)の撮影をしたのは、記録上は、2015年6月27日(1夜目)ということのようです。
その当時の編集のまま、出してみましょう。(けして、めんどくさいからではない。)
川辺で、惑星を撮ってますね。
金星と木星でしょうかね。明るい。どうだろう。
カメラは、PENTAX K-50、レンズは、…焦点距離が35mmになってますが、当時は35mmの単焦点は持っていなかったので、キットレンズのズームで35mmを使った…のだろうと思われます。
この前にも、撮影をした気もしないではないですが、記録があるのは、ここからですね。
思い出深い奴をいくつかピックアップしてみましょう。
2015年8月7日(4夜目)。おそらく、初めてアストロトレーサーを使った日のような気がします。
中心の星は、どうも、南のうお座フォーマルハウトぽいですね。
アストロトレーサーについては、こちら。
2015年10月22日(11夜目)。DA10-17mmフィッシュアイズームを手に入れて間もない撮影だと思われます。金星が現れてきていますね。右の辺りは、冬の天の川ぽいですね。
2015年12月31日(24夜目)。初期比較明合成。左は月ですね。月暈か、フレアか…。
割と味のある一枚。
いかん、このペースで行くと終わらない(笑)
2016年4月2日(33夜目)。霧というか、雲海というか、霧かな。街明かりで、カラフルに色づいています。シンプルなウォーターマークがつきました。
2016年4月22日(37夜目)。これは、流星そのものではなくて、そのあとに残った流星痕です。ここまではっきりしたのは、これ以来撮れたことがありません。
これだけの痕が残る流星…、どれだけでかかったのか、千載一遇のチャンスを捉え損ねたんですね。
2017年6月9日(52夜目)。実は、この前、半年くらいは、撮影ができていませんでした。
大変しんどい時期でしたね。
この日、何を思ったんでしょうね。ふと、もう一度撮ってみようと思って、撮影に行った記憶があります。
2017年8月8日(58夜目)。月食ですね。比較明合成で、かけていく様子を捉えています。
2017年12月8日(93夜目)。今のウォーターマークになっていますね。これ、多分、自作ソフトフィルターを使っていますね。
2018年3月17日(114夜目)。カメラがKPになっていますね。2017年の11月頃に買ったと記憶。
この頃から、PENTAXのフォトコンに応募するようになりました。確か。
でも、ずっと入選しませんでしたね。前に記事にも書きましたが、このペンタックスリコーファミリークラブのフォトコンは、2022年、終わってしまったので、フォトコンへの応募はやめてしまうことにしたのです。
モチベーションが下がるかとも思いましたが、意外とそうでもないですね。
むしろ、何か応募できそうな成果を持ち帰らないといけないというようなプレッシャーから解放されて、好きなように撮れています。
2018年12月14日(171夜目)。初めて火球を捉えた日。
これは、約2時間に流れた流星を、一枚の背景に合成したもの。でかいの連発していますね。K-50が捉えてくれました。
この日を超える流星群にまだ出会えていません。
2019年9月2日(206夜目)。何か星の雰囲気が変わった。レンズが11-18mmに変わってますね。
やはり星が細かい。これを見るとやはりいいレンズだ。
2019年12月4日(221夜目)。フィッシュアイズームによるパンフォーカス星景ですね。
最近やってないな。フィッシュアイズームの調子が最近悪いんですよね。HD版を入手せねば。
パンフォーカス星景については、こちら。
2020年8月12日(248夜目)。ペルセ群の夜。薄く流星を捉えています。
流星群撮影は、楽しいですね。なかなか、大物は捉えられませんけど。
2021年7月19日(278夜目)。カメラがK-3markⅢに変わりました。月のある夜の波の様子がとても、雰囲気良く撮れました。
…。と、こんなところでしょうか。
あとは、まあ、現在に至るというころですね。
300夜。7年かかりましたか。
400夜、そして、500夜と続けていけるように、また、一夜一夜を越えていきたい。
撮ることを続けていく、歩き続けていくということを目標に、なるべく気負わず、行きたいと思います。
遠くまで行けると良いのですが、あまり、遠くへも(撮影地という意味はもちろん、比喩としても)行ってないですね。
近くで、手の届く距離で、手の届くような(星なので届かないのですが)写真を撮っていきましょうか。
どこかへたどり着かねばならないわけではないのです。
何者かにならないといけないわけでもなく、ゴールもない。
ただ、「自転車泥棒」(呉明益、天野健太郎訳)の、以前引用した一節の事をよく考えます。
シャッターを押したとき、もし本当にそれを見ているのなら、必ずその瞬間に自分のなかのなにかが変わる。
本当に見ていれば、自分が変わる…、これはどういうことなのか、考え続けていました。
当初は、何か写真を撮る際に、劇的な経験をするということなんだろうと思っていました。小説の中の文脈では、もしかするとそういう事も含むんだろうとは読めるんですが…、でもしかし、劇的なことは何も起こらずに、自分の周りの事を、届く範囲で、撮り続けていくからこそ、変わってしまうというような、変わり方もあるだろう、というふうに今は思います。
結局は、撮り続けていくことは、変わり続けることなんでしょう。生きていくことが、どうしようもなく、人を変えていくように。そこからは、逃れられない。
7年前の自分と今の自分は、確かに、同じ人間ではあるんですが、良いか悪いかの評価はおいておいて、やはり大きく違ってしまっています。
一夜一夜を越えていくことが、逃れようもなく、ほんの少しずつ、自分を変えていく、という写真との、あるいは世界との向き合い方もある…のかもしれません。
以前、「自転車泥棒」を引用した時の記事。(上の278夜目の時の写真ですね)
うむ。300夜か、ちょっと、感慨深いですね。
ではまた。