シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

星景サルベージその102 波のオベリスク(と2021年撮影概観)

はい。

というわけで、この更新が2021年、年内最後となります。

皆さん、今年も大変お世話になりました。

 

年の最後にあたり、一年の撮影を振返っておきたいと思います。

今年も、星景写真をメインとして、撮影を続けてきました。

超長期の梅雨、8月の長雨と天候にもたたられ、新型コロナウイルスワクチン(モデルナ)副反応の発熱で撮影にいけなかったりと、色々と試練もありましたが、何とか一年無事に回ってくることができました。

 

続けていくこと、が大事ですね。

天候、体調も振り返りながら、作品の質や、テーマということも大事なんですが、その前に、一回一回の撮影を続けていくこと(続けていけること)が大事だなと改めて思った一年でもありました。

 

というわけで、今年最後のサルベージです。

今回は、昨日、会報誌が届いた、第212回ペンタックスリコーファミリークラブフォトコンテストで、入選に選んでもらったものです。ありがたい。

 

波のオベリスク

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PENTAX K-3 MarkⅢ レンズ HD DA★11-18mm アストロズーム 焦点距離 12mm

ISO2000 SS15秒 F2.8 アストロトレーサーType2

2021.07.19 高知県にて

 

タイトルが印象的になったというか、大げさになったというか…、しかし、割とすっと決まったので、イメージと合うものになったということかもしれません。

オベリスクというのは、尖塔のことですね。

波が月に照らされて、露光時間中に、何回か寄せては引いた結果、面白い模様を描き出しています。

自然の作り出す不思議なパターンが興味深いと思い選んだ作品でした。

 

選評では、神秘的という言葉を頂きました。

何と言いますか、私の星景写真は、総じて「暗い」んですよね。明るいより暗い方が、神秘さを感じるのかもしれません。

この写真も、月明りがあったので、もっと明るい仕上げもできるんですが、現像していくと、こういう風に岩も黒々となっていく。その方が、私の心づもりとしては、しっくりきてしまう。こういう作風ということで行くしかない。

また、星景として星空をきっちり写していることを評価していただいたのも嬉しいポイントでした。

 

そして、ひそかに重要なのは、この写真が7月の半ば、つまり、K-3 Mark IIIを入手した後の実質的な初撮り時(その前に一度曇りの日に出てはいる)だということ。この日、アストロトレーサーのバルブタイマーが、秒数を細かく刻めるようになったので、波の表現を色々試してみようと秒数を変えながら撮ったものの中の一枚でした。

いきなり選に入ってくるなかなかのポテンシャルを見せてくれました。

うむうむ、本当に良かった。

また、選に入れるように頑張っていきたいと思います。

 

実在論的写真へ

そして、今年は、写真を撮ることについての思索も少しずつ深めてきた一年でした。

今年の到達点を、一言で言うと、私は実在論的な写真が撮りたい、というふうに言語化できるのではないかと思います。

実在論的…つまり、私の認識とは独立した世界の実在性を認めるということですよね。

実在する世界にカメラを向けて、撮り続けていく。

そういうシンプルな撮り方を大事にしたいと思いました。

 

自転車泥棒」(呉明益、天野健太郎訳)という小説で、写真家である登場人物の一人が語る場面があります。

 若いころ、私は詩を書きたいと考えていた。そして、詩と写真はなにが違うか――自分にいつもそう問いかけていたが、のちに気づいた。写真を撮ることと、詩を書くことのいちばんの違いは、写真は人が必ず撮影現場に赴く必要があることだ。戦争の苦痛を経験していない人でも、まるで自らが経験したような苦しみを詩に書けるかもしれない。たしかに、一部の詩人が書いたものは、その苦しみを本当に感じ取って書いたのだと信じられる。しかし、多くの感動は作りごとに過ぎない。その声はあたかもヴォコーダーを使ったかのように、虚偽の憐れみを真実の憐れみへと変えられる。ただ、普通の人はそれを見抜けない。

 いっぽう、カメラマンは撮影現場へ足を運ばなければならない。だから、多かれ少なかれその場所により、自分を変えられてしまう。シャッターを押したとき、もし本当にそれを見ているのなら、必ずその瞬間に自分のなかのなにかが変わる。

(強調は引用者)

なるほど、その通りだなと思います。

詩というものがいけないという話ではない、そこにも本物はあるということなのですが、重要なのは写真と場所の関係です。

実在的世界(ある個別具体的な場所)と撮影者が対峙したときに、撮影者が世界に撮影という行為で働き掛けるだけではなくて、そのことによって世界も撮影者に働き掛ける、そういう世界と撮影者の相互依存的関係性があると。

だから、この世界に向けて、シャッターを切っていくということは、自分というものを一枚一枚定義しなおすことだろうし、世界という実在を鏡として、自分という実在をも問い直していくことなんだろうと。

 

なぜ、撮っているのか。なぜ、生きて行くのか。

そういう問いが、常に、写真一枚一枚の中に、含めこまれている。

それは、決して大仰なことでなくて、普段は意識はしていないけれども、生きている以上は、日々、あるいは一秒一秒、不断に問い続けられていることでもあります。

その問いが、写真を撮ることで可視化され、パースペクティブを得て、強度をもって立ち現れるということなのでしょう。

そこまで、迫って世界と対峙できるかは、本当に難しいとも思いますが。

 

なぜ、撮っているのか。なぜ、生きて行くのか。

その答えは容易には出ないからこそ、撮影者は、撮影を続けていかなくてはいけないのかもしれません。

 

特に星というテーマで、来年で7年目になりますか、撮り続けていると、規則的に星がめぐってくる、この世界の揺らがない規則性に、実在的感覚を感じます。

同じような時期には、同じような星の配置が必ず起こります(惑星等は別ですけども)。その規則的反復の中だからこそ、逆説的に、けして二度と同じ時には戻らないということも強く感じます。似たような夜空でも、決して同じではない。

今、この場所で、この世界と対峙する瞬間は二度はない。

 

そういう意味で、常に逃れ去り、手遅れになろうとする世界に対して、私はいつか間に合い、追いつくことができるのか?

「すべてを撮ることは不可能である」ということから考えれば、私は、常に手遅れに甘んじていることになります。この逃れようのない手遅れを認めつつも、冷笑的態度であきらめるのではなくて、せめて一枚一枚を撮っていくしかないだろうと思います。

 

来年も、また一枚、一枚を重ねていかないといけませんね。何か答えが出るわけではないかもしれませんが、せめて問い続けることはできる、ということですね。

いつまで、問うことができるのか。現状から一歩、一歩行きたい。

 

 

今年の撮影データ

撮影記録ノートを紐解いてみると、今年は、28夜(もう天候を見ると年内は無理ぽい)の撮影に出ることができました。

2018年74夜、19年50夜、18年37夜、そして今年と、順調に減っています(笑)

これはしかしモチベーションが低下しているということではない、と。

どちらかというと、体力が低下している気がしますね。

一晩撮影に行くと、やはり1週間くらいは、疲れが残っているような気がします。

もう少し、撮影も、コンパクトに対象を絞ってとるべきなんでしょうが、私のスタイルは、車を降りてから、ぐるぐると歩き回って撮影していくスタイルなので、無駄に体力を使うんですよね(笑)

 

まあ、しかし、写真というのは、高齢になっても続いていく趣味でしょうから、少しずつ自分の体力と写真撮影との折り合いを見つけていきたいと思います。

いや、高齢期のことを考えるよりも、現状の超インドア体質から、少しずつでも体力をつけるのが先でしょうけども(笑)なので、最近、夜中にウォーキングをしています。

 

で、今年、何かしらの選に入ったのは、3つ、でした。

第209回ペンタックスリコーファミリークラブフォトコンテスト 入選(入賞)

ペンタックスリコー写真年鑑2021-2022 掲載

第212回ペンタックスリコーファミリークラブフォトコンテスト 入選

 

shironagassu.hatenablog.com

shironagassu.hatenablog.com

 

うむうむ。

送り続けているのは、ファミリークラブ年4回と、地元紙(今年から)年3回の二つ。他にも送るときはありますが、とりあえずこの二つのコンテストは皆勤で行こうと。

ファミリークラブ4回中2回も載れるとは思ってもみませんでした。良かった。

写真年鑑も初めての掲載。ありがたい。

PENTAXと縁のある年でした。

 

一方で、地元紙の方のフォトコンは全然さっぱり、鳴かず飛ばずでした。

うーん。

年4回制から3回制に移行し、審査の傾向も変わった気もします。(いやまあ、純粋にこちらのクオリティが確保できなかったということもですが)

まあしかし、それに合わせて、自分のスタイルを変えていくという器用さはないし、それは大事な事ではないので、ただただ、送り続けるのみです。

 

今年は、県展を諸般の事情…と濁すこともないですが、審査員と思想的なものが合いそうにない、ということで出展を諦めたので、それも残念でした。

まあ、一応、来年の県展も準備はしつつ、審査員が同じなら、別の応募に回すことで対応しましょう。

 

よしよし。

というわけで。

今年も一年、あらためて、本当にお世話になりました。

また、来年もよろしくお願いします。

 

よいお年をお迎えください。

 

ではまた。来年。


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