「天からの文を読み解く」との副題がつけられた本書は、最も古い学問のひとつとしての「天文学」が、その長い歴史の中でヒトをどう変え、そしてどう変えようとしているのかを、わかりやすく解き明かす。
天文学の歴史を踏まえつつ、最新の宇宙探査や開発の発展にも触れながら、宇宙と人とのかかわりを考えていく。そして、著者の専門であるサイエンスコミュニケーションについて、その取り組みの目指すべき意味を示していく。
科学とヒト
著者の縣秀彦氏は、自然科学研究機構国立天文台准教授として、天文学のアウトリーチ(普及活動)に携わるサイエンスコミュニケーションの専門家である。
本書は、最新の宇宙のトピックスに触れるということも、大事な要素としているが、何よりも、サイエンスコミュニケーション論としての側面から、非常にユニークな一冊になっているように思う。
国立天文台のアウトリーチ活動において、重視されている考え方にPUR(Public Understanding of Reserch)があるという。これは、PUS(Public Understanding of Science)という考え方と対をなしている。
20世紀まで主流だったPUSが、市民は科学の知識が欠けているという「欠如モデル」のもとに、科学の「結果」のみを市民に伝えようとする啓蒙活動的な側面を持つのに対して、PURは、科学の結果だけではなくその研究過程を含め、科学そのものについて市民が考えていく材料を提供するという点が異なっている。
それはつまり、少し飛躍をして結論からまず述べるならば、科学に民主主義を結びつけるということのように思える。科学者だけでなく、市民も科学の主体になることが求められているし、それは可能なのだということではないだろうか。
現在の科学は、どの分野も国際的なビッグサイエンス(多大な予算を必要とする研究)になってきていて、その予算をどう確保していくのかということが、大きな課題にもなっている。その時、市民が科学に対してコミットすることが、実は決定的だ。なぜなら、世界の主流は民主主義国家であり、その中において市民のコミットが得られない(民意が得られない)科学では、予算は確保できないからだ。予算のつかない研究は、絵に描いた餅にすぎない。
そして、さらに重要なことは、市民のコミットという要素が入ることで、その科学がはたして人類のためになるものなのかどうかが問われていくという点だ。
だからこそ、市民の科学へのコミットをすすめるアウトリーチ活動は、市民社会の中に、科学を埋め込んでいく作業なのだといえる。
私は、これまで、サイエンスコミュニケーションを、単に「科学を、市民に伝えていく」取り組みなのだろうと漠然と捉えていた節がある。
それも大事だろうが、科学→市民という一方通行の回路だけではなく、市民→科学の回路をも持つということが、これからのサイエンスコミュニケーションには重要だろう。
科学は、ともすれば、環境を破壊したり、あるいは、そもそも人間の生活とミスマッチをおこし、科学に人間が従属するような事態も起こりかねないし、歴史を見ればそういった例は枚挙にいとまがない。例えば、これからのAI(人口知能)の発展は、真に人類のためになるものとして受容されていくのか、それとも、さらに格差を広げる手段になってしまうのか、今、岐路に立っているのではないだろうか。
市民が科学にコミットすることは、こうした科学の負の面を抑制していく手段になるのではないだろうか。
国立天文台のアウトリーチ活動の実際も紹介されていて非常に興味深い。例えば、アストロノミー・パブをはじめ、科学者と市民の双方向的なコミュニケーションの場の提供など、様々な取り組みが行われている。
こういった取り組みが、社会の隅々で行われるとき、科学は真の意味で、人間が人間らしく生きるための英知へとなっていくのではないか。
サイエンスコミュニケーションのこれからの取り組みに大いに期待したい。
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