シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

星景写真は物語る

うむうむ。

さて、忙しくて星を撮りにいけてないのですが、行かねばならんとは思いつつ。

 

先週閉幕したCP+2022で、天文学者であり星景写真家でもある大西浩次さんの、ビクセンの講座が大変面白かったので、覚書を残しておこうと思います。

 

アーカイブも残っています。ぜひご視聴を。

 

星景写真は物語る

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(表紙用の写真を一枚。)

 

全体の話は、ぜひ、上のアーカイブ動画を見てもらうとして、私が、感じたのは、やはり、日本における星景写真のパイオニア・大西氏、星景写真について、非常に体系的、系統的に考えをまとめておられるな、ということでした。

なるほど、と思わされるところが随所に。

 

星景写真には、作者の感情が込められているということでした。宇宙へのあこがれや、神秘への想い、地球の上に生きているという実感が伴っていると。

 

前半部分では、撮影者の自然観や、星や天文学への知識、風景、地形、気象など、色々なことが統合されて、写真のテーマに繋がっていくというお話でした。

この前半部の星景写真とは、何であるのかという部分は必見ですね。何故撮るのか。星景写真を撮る意味というのを考えさせられます。その意味に見合うだけの写真を撮らねばという思いにもなりますね。

 

そして後半部では、主に技術的な面から、どう星景写真を撮るか、というお話に。

 

後半部で、私が特に印象に残ったのは、地上景と星空の関係性の話でした。

大西さんは、地上が1/3、星が2/3くらいの割合が良いのではという提案をされていました。従来、通説的に言われていたのは、確かに地上1/4、星3/4くらいが良いということだったので、地上の割合を増やしています。

 

地上があることで、目線の動きをつくることができる。地上景を増やすことで、見上げている様子が見えてくる。そこに、星へのあこがれが生まれてくる。

 

なるほど、と。

最近、私は、地上景を増やした星景というのをテーマにしていたのですが、すでに大西さんが、体系的にやっておられました。その理由も明確です。

地上を増やすことで、星への思いを強める。ということ。

 

星景写真というのは、必ず空(星)を入れる必要があるジャンルです。

空を入れる写真というのは、どうしても手前から奥への、パースペクティブが生まれます。パースペクティブというのは、視点・視線のことなので、それは必然的に、「見る者」の存在を、写真の外に生み出します。

そして、その写真の外に生まれた何ものか、撮影者かもしれない、鑑賞者かもしれない、あるいは、機械的なカメラアイということかもしれない、その視線に同化することは、ある物語を想起することでもあります。

なぜ、見上げているのか。なぜ、視線を送っているのか。そこにストーリーが生まれてくる。

 

逆に言えば、空を入れないことで、パースペクティブの働きを弱めると、「語らない写真」というものが、生まれます。写真の上で、鑑賞者を迷子にする、意味を与えない。そういう写真も面白いと思います。

解釈を許さない、わかりづらさ。

 

どちらかと言うと、今、後者の語らない方向に写真は向かっているのかもしれないという気もしています。

パースペクティブというのは、非常に、写真的な表現なんだろうと思うのです。絵画なら、必ずしも、消失点は一つでなくても良い訳です。抽象画的な、パースペクティブのまったくないものでも成立します。

写真は、基本的には、パースペクティブが生まれるのですが、それを意図的に弱める表現が色々ためされてもいるのかな、と。言い換えれば、写真は絵画的な表現にも向かっているのかもしれない。風景を平面的にとったり、ドローンで真上から撮ってみたり、クローズアップしてみたり……。

 

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トモコスガさんが、ジャメヴ(未視感、デジャヴの対義語)な写真というのを、募って1ページにキュレーションするということをやっていて、そこには、物語らない写真が集まっています。こういうのを、実は、星景でもやってみたい。

 

「語らない」星景写真というのが撮れるのだろうか。というのが、実は、私の今の、ひとつの問題意識なのです。

そのために、地上景を意図的に(かなり)増やしたり、縦パノラマで地上を撮ったりと色々と試みているのですが、いや、語りますね、星景写真は(笑)

 

語らない星景写真というのは、言い換えると、空の完全に入らない星景写真というのがあり得るのか…ということにもなってきます(あるいは、別の何かを思いつかないといけない)が、少しでも空が入っていると、大西氏が言うように、星への憧れというか、星に向かう目線、気持ちというものがどうしても生まれます。

結果、星景写真は、語りだしてしまう。

 

うーん。

物語る、というのは、星景写真の切りはなせない特質なのかもしません。

もちろん、物語る写真が悪い訳ではなくて、基本的には、どちらかというと良い効果のようには思います。写真の中にストーリーを感じてもらうことは、写真を提示するうえでの王道だとも思います。

でも、王道路線から逸れたがる天邪鬼なので、物語らない星景写真というのも撮ってみたいんですよね。いつか、そういう表現が(も)できるだろうか。

 

と、何かよくわからない目標を書いて、本稿を終わります。

 

大西さん、ツイッターで毎日、星景写真を更新されているので、ぜひ、見てみてください。(と、ここを見るような方は、だいたい、もうみてらっしゃるかもしれませんが)

 

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ではまた。

 

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