シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

書評「最後の山」

今回は、石川直樹著「最後の山」の書評を書いておきたいと思います。

 

この本をネイチャーライティングと位置付ければ、それもまたひとつのサイエンスノンフィクションだと言えるという考えの元、このブログで取り上げても問題ないだろうという思い…。

科学本に限らず、色々な本を取り上げているので、今更ですが。

 

 

shironagassu.hatenablog.com

入手した時の話はこちらに。

ほとんど、積読せず、一気に読みました。

 

書評「最後の山」

世界には、8000mを超える山が14座あるそうなのですが、著者の石川直樹氏は、その14座に写真家として登るということを、20年以上かけて続け、2024年に成し遂げました。

その長い長い旅の記録が本書になります。

 

写真家として、というのは、中判フィルムカメラを持ち、それで、写真を撮るということを目的にして、8000m峰に臨むということを意味します。

それは、登山家であれば、真っ先に置いていくであろう重い機材です。撮るということだけならば、もっと軽量のデジタルカメラでも十分に撮れるでしょう。

しかし、著者は、ひとつのフィルムで10枚しか撮れないという不便な中判フィルムカメラに拘り、山とそこに暮らす人々、人々と自然の交わりを撮り続けました。

 

著者の写真集を、私は2冊持っています。山以外のテーマの写真集も出しているのですが、私が持っているのは、どちらも、この8000m峰の名前を冠したもの。

ひとつは、「エベレスト」、もうひとつは「カンチェンジュンガ」です。

著者の写真は、もちろん、極限的な8000m超の頂上で撮られたものも、良いのは当然なのですが、その手前、その土地に暮らす人々、山と関わって生きるシェルパの姿など、ふもとで撮られたものも、大変、素晴らしいと思います。

中判フィルムカメラで撮ることで、なのか、ほぼすべての写真が、横位置で撮られていて、非常に落ち着いた、心地よい感触を感じさせます。

厳しさと心地よさが同居した、著者の写真集は、私のお気に入りです。

 

その写真が、どうやって取られたのか、ということも含め、彼の14座への挑戦が、じっくりと紐解かれます。

 

写真の話

そして、この「最後の山」は、やはり、写真の話でもあるな、というのが読み終えての感想です。

 

写真の様々な側面、性質が、人と自然の触れあい/ぶつかり合いの中で、現れていきます。

極限の山頂で撮られた写真には、剥き出しの一回性が宿ります。

その時、その場所で、著者にしか撮れなかった写真。

それを、ベンヤミンにならいアウラと言ってしまっても良いでしょう。そのアウラは、フィルムカメラという、より直接的な、感光という科学的な性質をもって撮られるが故に、強いものになります。

 

そして、また、人を写し、その人の代わりとして写し身となる写真の性質もあらわにされます。

相棒のシェルパの死――死というのは、人と自然との触れあいのまたひとつの極致です――に際して、家族に託される写真は、その写真に写る者がかつていたこと、その不在を強く強く伝えます。それは悲しいことでもあり、同時に慰めでもあります。

 

あるいは、記録としての写真。

この本には、著者と同時代を生きる同世代のシェルパが数多く出てきます。

彼らは、それ以前の世代のシェルパが、ある意味で仕事と割り切って、仕事だから山へ入っていたのとは違い、自らの意志で、山に登り、無酸素登頂などの記録を打ち立てていきます。

その姿を、著者も、そして、シェルパ自身も撮り、時にはSNSを介して広げ、時代を記録していきます。記録としての写真の側面も、また強く印象に残ります。

 

著者はこの本を「自分が死ぬまで、暗闇を照らし続ける光源のような日々の記録」と書きます。

その日々が著者にとって光であるように、それを遠くから眺める読者にとっても、その光は何かしらの道標となるように思います。それはさながら星のようです。

誰かが残した光に足元を照らされて、暗闇の中を進むことができる、それも読書の大きな魅力だと思います。

 

ぜひ、読んでみてください。

 

ではまた。

 

 

 

【星景用アカウント】

https://www.instagram.com/yamamotofhironaga/

【日常用アカウント】

https://www.instagram.com/a_life_yfh/

【スレッズ】

https://www.threads.net/@a_life_yfh