うむうむ。
というわけで、天文リフレクションズさんが面白い企画を始めたので、勝手に応援してしまうエントリーの回です。
面白い企画。
というのは、その名も「映えてたまるか!?地味目・星の写真コンテスト」、略して「#地味天」。
応募要項のページは、こちら。
#地味天
4つのカテゴリーがあります。
1.「天の川のない星空」部門
2.「ライト(Lite)スカイ」部門
3.「天文なう」部門
4.「フリースタイル」部門
うむうむ。このうち私が参加できるのは、「天の川のない星空」部門ですね。
…え?天の川がなければ、…良いの…?
まじで?
この際、冬の天の川も除外してしまいます。それでも、フォルダ内に無数にあるわ、あるわ。
まさに、私の星空フォルダが火を噴いてしまいますよ。
地味星景考
映えない写真。
確かに、SNSにおいて映えは重要な要素ですよね。映えて「いいね」を押してもらうということが写真の意味ともいえるのが現状です。
「新写真論 スマホと顔」(大山顕、ゲンロン叢書、2020)において、大山氏が、SNS上の写真について、次のように述べています。
スマートフォン以前には時間的にも場所においても別々に行われていた撮影―現像―閲覧のプロセスが、スマートフォンというデバイスのもとで統合された。写真を撮る目的は「いいね」を獲得することになった。これらの結果、写真行為においてシャッターを切る「撮影」の比重は小さくなった、というのが一二章で語ったことである。今回そこにつけ加えたいのは、写真の主導権の移行が、見る者の批評眼などではなく、ただ閲覧者の「数」によってもたらされた、ということである。
(中略)反応こそ写真行為の重要な一部であり、つまり閲覧者もまたその写真の行為者なのだ。(強調は引用者)
なるほど、確かにそうなのかもしれません。
写真を撮る目的は「いいね」を獲得することになり、閲覧者の「数」こそが重要になって、それが写真の意味を決めてしまう。
その状態は、ある種の「健全」な競争社会なのかもしれません。「いいね」の数で評価を受けて、写真の良し悪しが決まっていく。
映えない。という選択は、この「健全」な競争から降りることなのかもしれません。
「映えない」という方向性で、競うのではなく、もう、逆に競わない。
フォトコンなのに、競わない。今回の#地味天は、あえて競わないフォトコンともいえるのではないかと思います。
少なくとも、私は、これに出ることでもはや競うつもりはありません。
競うことよりも、映えないとは何かということを、…本当の「地味」とは何かを、提示していくことに重きを置きたい。
#地味天、セルフコンペ
というわけで、写真フォルダを眺めて、順不同で見繕ってきました。
質はともかく、数は、やばいくらいあります(笑)
全部出したら、えらいことになってしまうので、さすがに、いくつか抜粋です。
さて、どんな写真が良いか。…。
流木と惑星。どうでしょう。この詫び寂び感。
岩と…フォーマルハウトかな…。ぽつんと一つ。
春の星座、しし座ですね。
月明りがあり、空が青くなっています。
闇の中の北天と滝。一枚撮り。こういうのもありでしょう。
北斗七星から、アークトゥルス、スピカ、からす座まで。
ベガ。紫陽花とともに。紫陽花にグッと寄って遠近感を出しています。
木のシルエットとかに座。かに座はカニみそ(プレセペ星団)が見えるので、わかりますね。(わらかないかもしれない)
月明りの樹と火星ですね。青い空に火星のコントラスト。
星と言うより、むしろ波が主体。
…と、上げ続ければ、延々行けるのですが、ここはひとつ、応募作を決めてしまわないといけない。
…数ある地味星景の中から、地味オブ地味として選ばれたのは…。
タイトル「星拾い」
星景フォルダ内の数ある「映えない写真」の中から、暗い一枚を選び出してみました。潮だまりに、シリウスが影を落としています。岩の向うに見えるのはカノープス。目線を落とし、星を拾うように撮った一枚。
と、これで、行かせてもらいましょう。
星空リフレクションというのは、もっと、映えるもののような気がするのですが、生粋の地味マスターの私が撮ると、こういうことになる。
真っ暗。
黒すぎる。
だがそれが良い。
というわけで、ぜひ、皆さんもエントリーしてください。
あえて、競わない。
地味とは何か、映えないとは何か、あなたの答えを見せてください。
ではまた。