うむ。
年の瀬も少しずつ、差し迫ってきましたね。
しかし、星景的には、まだ、月の具合的に条件の良い、ふたご座流星群極大日が控えており、晴れればビッグイベントになりそうな予感なんですが…。
晴れるかな…。
まあ、極大日が日曜日→月曜日の晩なので、さすがに、そこを朝まで観測はきついかな。晴れた周辺の日に行くしかない。
と、とりあえず、サルベージなんですが、これ、今年で一番気に入っている写真です。なのですが、順次、いくつかのコンテストを潜り抜けまして、無事に、何の評価もうけられなかったので、まあ、どこが好きかということを書いて、アーカイブした上で、供養しておきたいと思います。いやはや。
なるべく、愚痴にならないように(笑)
ナガイサヨナラ
PENTAX KP レンズ HD DA★11-18mm アストロズーム 焦点距離12mm
ISO100 SS1200秒 F2.8 20分長秒露光
2020.02.01 高知県安田町にて
うん。
大変暗い写真ですが、暗い中に、地面の石のごつごつしたディテールや、ナトリウム灯の街灯に照らされた岩の質感が良く出ています。この質感を出すのに、なかなか納得ができず、5回ぐらい現像しなおしました。なので、現時点での現像技術の到達点でもあります。
前景は、ナトリウム灯で照らされることで、赤く染まり、少しグロテスクにも見えるような、色合いで、不吉な予感を感じさせてくれます。
中央に沈もうとしている星座は、(この写真は西を向いて撮っていて、星が沈む様子を撮影したものなんですが、)オリオン。もうすでに半分ほどは沈みつつあり、ベルトにあたるミツボシと左肩にあたるベテルギウスが見えています。
この沈むオリオン…。オリオンが沈むというのは、神話にもあるように、サソリの毒にやられて猛き狩人オリオンが、死にゆくということを直接的に表しています。
死の予感。
この1年、コロナ禍で、どうしても、死や病というものと離れて、暮らすということはできませんでした。どこかで死や病に付きまとわれつつ、言い換えれば、見えざるサソリの毒におびえるように、日々を送らざるを得なかった。その感覚がこの一枚の中に凝縮をされています。
文明の光としての街灯が、この海岸を照らしているというのも象徴的です。「文明」が自然と衝突したところに、今回のCOVID-19という災厄も生まれたのだろうと思います。
ナガイサヨナラというタイトルには、もちろん、死の予感を込めてもいるのですが、同時に、この「文明」のもたらす日々を、新型コロナウイルスが永遠に変えてしまったという意味での、別れも含意しています。
しかし、確かに、希望は残されてもいて、星は、ひと時沈むかもしれませんが、また同じように昇ってもくるわけです。今、季節は廻り、冬の季節になると、オリオンがまた同じように昇ってきてもいます。
ですから、ナガイとカタカナにもなっているわけです。
永遠の「永い」という今生の別れというだけではなくて、また再度回帰するお別れ、あくまで「長い」かもしれないが、しかし再会を期した別れのあいさつという意味とも取れるようになっています。再見というわけですね。
死の予感と、しかし、残された再会の、そして再開の希望。
そういう、意味を重ねた一枚となっています。と。
いやー。すごく気に入っているんですが…。ダメだったかあ。
もう、今年も終わってしまうな…。
いやいや。
まあ、評価はされなかったとしても、「好き」を変えてしまうことはできないし、「好き」を追うことこそが、原動力ではある。また一歩ずつ頑張りましょうか。
少しだけ追記
オリオンという星座について補足。カール・ケレーニイ著「ギリシアの神話/神々の時代」からオリオンとサソリの神話について引用しておきたい。
この荒っぽい狩人(オリオン)は地上の動物をすべて根絶やしにしてしまいそうであった。彼がクレタ島で狩をしたとき、アルテミスやレトもいっしょであった。そこで、大地は彼に対して、さそりを生んだ。このさそりが狩人をさし、のちに、オリオンといっしょに天にのぼり星座になったという。
つまり、オリオンという星座のコンテクストの中に、自然と人間との対立が織り込まれているということでもあるようです。
そういうコンテクストを踏まえて見た時に、やはり、コロナ禍と人類というものを考えるうえで、オリオンという星座はかなり適切なチョイスだったな…と。
いや、しかし、ここまでくると、もう長いキャプションか、ちょっとした短文でも添えないと伝わらない(笑)
ではまた。