シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

星景サルベージその90 波の惑星

うむうむ、高知県が昨日をもって終わりました。

一年間、これをひとまずの目標において、準備をしてきたので、今回、入選をして展示をしてもらえたのは、本当に良かった。

というわけで、サルベージしておきたいと思います。

 

波の惑星

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PENTAX KP レンズ HD DA★11-18mm アストロズーム 焦点距離14mm

ISO6400 SS20秒 F2.8  アストロトレーサー使用、ほぼ固定撮影

2020.04.19 高知県土佐市にて

 

タイトルは「波の惑星」

少しまじめに作品解説を残しておこうと思います。

波と東の空から昇る春の天の川を撮影した作品です。

全体的に、非常に、暗いトーンで描写されています。

 

波というモチーフは、地球の恒常性と繰り返す毎日のメタファーでもあり、「続いていく」こと、「繰り返す」ことを、暗示しています。そういう意味で、「生」を表すモチーフでもあります。胎動、鼓動といったイメージ。

そして、技術的には、この波は、私が意図的に発したフラッシュの明かりで照らされて描写されています。明かりがないと写らない部分です。だから、フラッシュの無い状態で撮ると本来はこの部分も暗いのですが、そういう意味で、夜というある種の「死」の世界から「生」を取り出すというような、意味合いを帯びています。

ここまでが、波というモチーフのもつ第一の意味です。「生」を表す。

 

第二の意味は、波というモチーフによって、(光も電磁波という波の一種)を使って、何かを認識をするという過程、認識の過程を描いてもいます。

私という存在が、そこにいて、宇宙のはるか彼方からくる天の川の光(電磁波)をカメラで捉えながら、自らの存在証明のようにフラッシュを焚く(電磁波を放つ)ことで、その反響を利用して、まわりの環境を、スキャンする。音波によるソナー、電波によるレーダーのようなものをイメージしてもらうといいと思います。

こちらが能動的に発する波によって、世界の形を認識する。能動的な、言い換えれば手探りのような受信。その世界に「触れる」過程。

 

闇の中の「生」を捉えること、かつ、その「生」を受動的にだけでなく、能動的に受信し認識すること。後者によって明らかになるのは、撮影者の「生」が――その存在が、発する(重力波のような)波があり、その波が世界を認識可能たらしめ、「生」に触れうるという、そういうテーマをもって作品を仕上げています。

 

表現者としての自己同一性違和

この作品解説を書きながら、私は自分が表現者であるといったとしたら、少なからず違和感を感じるんだなということも思いました。

自分を表現者としては、アイデンティファイできない。

 

いや、技術の稚拙さとか作品の良し悪しという次元の話はおいておきましょう。技術があり、作品のレベルが高いから、表現者なのだというのは一見もっともらしいですが、実のところ、その人が自分を表現者と思うかどうかとは本質的に関係ない。

表現者は、他者を措定すると思うのです。他者がいることを前提に、その他者に対して、表現でもってある種の問いの投げかけ、感情的な揺さぶり、新たな価値観など問題を提起していく。あるいは、自分の感じた美しさを伝えたいというようなアプローチもあるでしょう。これも「伝えたい」わけですから、他者の存在を前提している。

私は、そういう意味では、根本的なところで、他者に向けて表現を打ち出していない、のかもしれない。もちろんこうやって県展に出すのは他者を意識をした行為そのものだろうと思うのですが、他方で、他者に向けて表現がどう届くかというところまでは責任が持てないし、興味をひかれないということでもあります。

私は何を作ったかということで、満足してしまう。自己完結型、といえるかもしません。

 

自分は何者か、何者としてアイデンティファイするかと、問われれば、私は「受信者」であるといいたい。

この受信するという行為として、私の中には、もちろん大きな要素を占める読書ということがあるし、その延長線上に、世界を受信する行為としての写真がある。受信者という地点まで戻れば、私は、ある種のレジリエンス、揺るがなさをもった自己として、アイデンティファイできるように感じます。

実は、このブログの一番最初の記事は、受信者としての私のステートメントから始まっています。そこに戻ってきたということでもあります。

shironagassu.hatenablog.com

 

そして、今回の作品の話に還ってみれば、まさに、受信することが大きなテーマです。

その時に、ただ受け身に待つわけではなくて、自ら行き先を求めて、手探りでも、能動的に受信していく。私の読書体験というのは、基本的にそういうものとして、世界との距離を測量しながら、読むことで本の地図を描いていく行為として定義できるでしょうし、今回、写真も世界の能動的受信をひとつのテーマとして、作品に仕上げたということだろうと思います。

 

いやまあ、理屈的にいうとそういうことなんですけれど、結局のところ、表現者という看板を背負うことは、私には重すぎるんですね。そんなものは背負えない(笑)すごく居心地が悪い。

 

さて。

去年の県展落選から、一年、何とか一応はリカバリーできたでしょうか。

また、とりあえずは一年、受信者として写真を撮って参りましょうか。

 

今年、何かしらの入選これだけかもしれない(笑)まあ、ライフゴーズオン

 

ではまた。

 

追伸 約3年目にして、KPにモニター異常が発生。延長保証(5年契約)で対応できそうですが、これがまた秋の一番いい時期にメイン機がいないという事態。K-50でやれるだけやるしかない。旧型機で出るというのは、それはそれでエースぽい感じがしますね(笑)

 

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