シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

星景サルベージその86 知の箱舟(against Covid-19 ver.)

うむ。

曇りがちな日が続きますね。

梅雨入りしたけど、雨はあまり降らない。しかし、曇るので結局撮りにいけませんね。

今日も星空指数はいいのですが、GPVを見ると雲が厚そうだけども…行くべきか。

しかし、今日を逃すと10日間単位で、ノーチャンスぽい。月曜から撮るのは、ハードなのだが…。

 

と、まあ、何にせよ撮れてないので、とりあえず、サルベージをしておきます。

 

知の箱舟(against Covid-19 ver.)

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知の箱舟(against Covid-19 ver.)

PENTAX KP レンズ HD DA 11-18mm アストロズーム 焦点距離11mm

ISO250 SS20秒 F2.8  約90分を比較明合成 ハーフNDフィルター使用

2020.04.29 高知県高知市にて

 

オーテピア高知図書館を撮影した一枚。

実は、以前も、撮影していましたが、前回は15mmでの撮影(下の記事)、今回は11-18mmの広角端を使ってもう少し、建物に近づきつつ撮影してみました。

shironagassu.hatenablog.com

そして、前回の撮影と大きく違うのは、今回は、新型コロナの影響で長期休館中のオーテピアだということ。オーテピア、今は開館していますが、2回にわたり長期休館を余儀なくされました。

私は、そこそこの図書館フリークでして、かなりの頻度で図書館に通っています。今回、閉まったことでだいぶ寂しく不便な思いをしたのと、新型コロナと星景写真を結んで何か撮っておかないといけないな、という問題意識から、閉まった図書館を撮らねば、という思いで、撮影をしておきました。

 

オーテピアは、高知市の中心部にあって、普段は、高知県内で最も夜空の明るい地域の一つです。なので、本来は星は大変撮りづらい場所です。

この日は、深夜、誰もいない頃を見計らい、自粛・休業要請の影響で街明かりが落ちて、普段より暗く沈む夜空を背景に撮影をしました。上の過去記事から前回の写真を見てもらうとわかるのですが、星(の軌跡)の写り方が、やはり違いますね。今回の方がかなり濃いですね。

時間帯的なことや月齢、レンズのF値の違い、今回は建物側が露光過多にならないように、ハーフNDフィルターで減光しつつ全体の露光時間は伸ばしたことなど、様々、他の要因もあるかとは思います。

が、まあしかし、やはり新型コロナの影響もあったでしょうね。人間の活動が抑えられた結果、夜空の本来の暗さが(少しばかり)戻ってくるという状況ですね。

(今回、サルベージなのは、KANIフィルターのフォトコンに応募したけど、安定の選外だったというあれ。)

 

人新世時代の星景写真

私は、「暮らしの中の星空」をテーマに、星景撮影を続けています。

 

何度か述べているように、そこには2つの意味を含んでいます。

まずは生活圏内で星空を撮影するということ。これは、つまり、できる限り、県内で、自分の暮らしている土地で撮ろうということです。あまり遠くにいかない(まあ、高知県東西に長いので、端っこは遠いんですけど)。

もう一つは、その星景写真の中にアーティファクト(人工物)を含むということです。人工物というのは遠くの街明かりの影響=光害であったり、直接的な人工物でない場合もあります。少なくとも、人為的影響が全くない「無垢な自然」というものを志向してはいない、ということですね。画面端に、電信柱などがある時も、あえてトリミングせずに残しています。それは、写真としては瑕疵かもしれませんが、大事にしたい。

人間と自然とが関わりあう周縁部で、星景を撮るというやり方です。

 

一方で、今回の新型コロナも、温暖化による環境危機の問題もそうなんですが、その大本にあるのは、人間が、自然を改変するだけの地質学的影響力を持つ時代になったということです。

新型コロナも、世界が密接に結びついたグローバル化の中でこそ起こったパンデミックといえるでしょう。それは世界の隅々まで人も自然も組み込んで、資源や原材料を集めて生産を行う世界です。

この世界の関係性の中で、経済的には、このコロナ禍を通じて、非正規雇用者など弱い部分に解雇などのしわ寄せを押し付けつつ、アマゾンやFacebookなどのプラットフォーマーは、すさまじい勢いで利益を積み上げています。それが持続可能な社会システムではないのは自明でしょう。多くの人の生活が破綻する(破綻させる)一方で、一握りのわずかな人は巨万の富を得る。…これを持続できるはずがありません。

 

持続可能性。

人類の活動が、環境に地質学的痕跡を残していくという意味で、今の時代を人新世(アントロポセン)と呼ぶわけですが、その人新世の中で、持続可能性を意識しながら星景写真を撮る意味について考えています。

「暮らしの中の星空」というテーマに、そういう問題意識をどう組み込んでアップデートするか…。

 

人新世時代の星景写真の在り方とはどういうものになるでしょうか。

新型コロナも、温暖化も、単に自然からの人類へのカウンター(反撃)ととらえるだけでは不十分かもしれません。

これらの「危機」を通じて、実は問われているのは、人類の社会システム自体だろうと思うのです。「危機」を契機にして、人類は今の持続可能性の無い社会システムを改めて、持続可能な社会を志向することもできるという分水嶺が、今ここにあるのだと思います。

単に人間が自然を破壊し、自然もそれに対してカウンターをしているということではなくて、相互循環的に自然と人間社会が関わりあっているのが人新世の時代だろうと。人間は自然を変えながら、循環的に人間の在り方自体も変えてしまっている。その人間社会の在り方が、持続可能なのか、不可能なのか、今のままでは持続不可能でしょう。どちらにせよ、自然と人間は相互循環的に関わりあっている。

ならば、その相互循環の上に、自然と人間の持続可能な関係性の在り方が模索されなければならないでしょう。今とは違う、自然と人間を調和させる意識的な関係性もありうるということです。

 

その時に、星空と人間の営為の関わりを写す「暮らしの中の星空」にどういう意味があるでしょうか。

「暮らしの中の星空」を撮った星景写真群は、自然と人間の相互作用がつくる人新世的風景というものを残すことにはなります。そのことによって、自然と人間の相互作用の持続可能性(あるいは不可能性)を問いかける、ということが、もしかしたらできる、かもしれません。(いやまあ、まだ私の写真は、それだけの力を、現状持ち得てないですけど、そこは自覚をしつつも(笑))

しかし、まだ結論めいたことを書くには早すぎますね。もう少し考えてみたい。

 

とりあえず、端緒としての問題意識だけ、今回は記しておきたいと思います。

もう少し考えが深まれば、写真論としてnoteの方にも、詳しく書きたいですね。

新型コロナの社会的影響のためか、「今、何のために、写真を撮るのか」、という根源的な問いを、このところよく考えてしまいます。

 

まあ、しかし、撮ること(実践の中)で、少しずつ答えを出していくしかないでしょう。

考えつつ(理論)、撮りつつ(実践)、と循環させながら、答えの在りどころを探してみたいと思います。

 

まあ、なので、月曜だけど、少し撮りに行ってきますか。 いや、雲がどうだろ?

ではまた。

 

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