シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

星景サルベージその65 来訪者

何でしょうかね。

梅雨に入りませんね。四国。遅い。

どうなるんだろう。空梅雨になって降らないのか、それとも、後に伸びて長梅雨になってしまうのか。…。

 

と、いうことで、微妙に撮影に行ったりはしているのですが、とりあえずはサルベージです。

 

来訪者

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PENTAX KP レンズ   HD DA☆11-18mm アストロズーム 焦点距離12mm

ISO5000 SS40秒 F2.8 アストロトレーサー、ソフトフィルター使用

2019.3.14 高知県土佐市にて

 

3月の新月期、深夜2時台にのぼりゆく銀河、小さな流星が一つ、写り込みました。

縦位置で撮影。

私は、この11-18mmを使うようになってからやたら縦位置が多くなってまして、良いのか悪いのか。

でも、縦で使うと、前景に寄りつつ奥行きを感じさせる写真になる気はする。

 

これはサルベージなので、選外になったものです。

ただ、応募した写真と同じRAWファイルから、Lrによるディテールの強化とNik collection2のDfineでノイズ処理を強化して、再現像しました。うーん。Dfine、気にいってきてるぞ…これは、課金するか…。Dfine、ノイズの部分的な強弱を自動で判断して、効き具合をコントロールしてくれるのがいい。

 

KPで撮ると、内蔵のアクセラレーターから始まって、非常に多重ノイズ処理になる。

最大で、カメラ内のアクセラレーター→Lrディテールの強化→Dfine→Lrに戻ってきてさらにノイズ低減を加える、という四重処理まで。

うーん。これだけノイズ処理を重ねるのは、星野ガチ撮り勢の方々からするとノイズ処理で細かい星が消えてしまう可能性があって、懸念が強そうですが、私は、ゆるふわ星景派なので、そこらへんはあまりこだわりがない。月も雲もある、星がほとんど写らない日も撮るし…。

 

うーむ。しかし、どうせNik Collection買わなくても、何か写真用のもの(例えば光害カットフィルター)に使われるお金なわけですよ。ソフトに投資するのも悪くない。

と、外堀を自ら埋めてしまって勝手に落城するスタイル。

どうしようか。いやまてまて、プリントして確かめよう。

 

J Limited

それはそうと。やばい。とうとうきました…!KP カスタムモデル J Limitedがいよいよ発売するらしい。


KP J limited_concept movie

コンセプトムービー。見てもらったらよろしいですが、いや、もう、かっこいい。

グリップも、マウント部もこだわりの逸品。

が、本体ごとの受注生産できたか。くわー、手が出ないな。11-18mmで貯金を全部吐き出してしまった。

 

ちなみに、グリップをつくっているミロクという会社は高知の地元企業ですね。自動車のハンドルとかをつくっています。

ミロクテクノウッド。

www.mirokutw.com

ホームページに今回のグリップに採用された旨が書かれてますね。

 

いやー、このJ Limitedの試み、ぜひ、応援したい。

大売れしなくていいけども、注目されてもらいたい。

なので、このJ Limitedというのは、写真論的にみれば、どういうことなのか、というのをちょっと考えてみます。それ、応援になるの?という疑問は、胸にしまっておいてください。

写真論、書きたいだけです(笑)

 

撮るという行為の文化的価値

うむ。まずJ Limitedの特設公式サイトからの引用。

父親からはじめてカメラをもらったとき、
嬉しさの中にも大切なものを託された誇らしさと緊張が
入り混じった感情を抱いたことを覚えている。
どこに行くにも一緒で、使い込むたびに少しずつ自分のものになっていく。
手の中に収まるひんやりとした合金の塊は、もはやカメラであっても単なるカメラではない。
“写真を撮影する機械”以上の存在であった。
つけてしまったその傷のひとつひとつさえ愛おしい。

世の中に名機と呼ばれるモデルは数多い。しかし自分にとっての愛機はたったの1機だ。
己がカメラを愛しているか?

Ad camera amabilis esto.
愛すべき、すべてのカメラへ

J limited

なるほど、今回のJ Limitedの思想がここに端的に表れていますね。

 

これは、最終アウトプットとしての画像だけに写真の価値があるとは捉えないということですよね。カメラを持つということ、撮るという行為自体に価値を見いだす。撮るという行為には、文化的価値創造の契機があるんだと。

もっと言えば、写真機を持つということ自体が、今ではある意味時代錯誤的でもあるわけです。スマートフォンで撮れば写真は撮れる。そして必ずしもプリントせずとも、デジタル空間を最終アウトプット先として写真が日々生み出し続けられ、世界と(比喩ではなく)ダイレクトにつながっていく。それが普通のことになった時代を我々は生きているわけですね。

その写真の画質が良いとか悪いとかというのは、ただちに写真の価値には影響しない。せいぜい、価値のひとつの指標でしかない。写真の価値というのは、コミュニケーション・ツールとして使われた時に生み出されていくわけで、そこに画質の善し悪しだけで表せない写真の価値がある。何で撮られても、その写真に、コミュニケーションのプロセスで価値が生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない、そういう意味であらゆる写真が等価値なんだと。そういう時代に我々はいるわけです。

だとすれば、あえて本質的には必要のない「写真機を持つということ」、そのことに意味を付与していくという提案も「逆説」としてありうるということになる。

それは、必ずしも必要ではないからこその、文化的な豊かさと言えるのだろうと思います。カメラを持つという文化的な意味。

自らの気に入った写真機を持ち、撮るという行為に文化的価値創造の契機を見いだしていくわけですね。

 

初めて自分のカメラを持って、被写体に向けてシャッターを切る時の言い知れぬワクワク感。その楽しさを、写真文化の中のひとつの価値ととらえ、そこに目を向けて大事にしていこうという実験的取り組みとしてのJ Limitedなのだろうと。

これは、マチュアの論理ともいえるのだろうと思います。誰の中にもあくまで初心としてあったはずのアマチュアリズムとしての楽しさ。そして、アマチュアとして写真を撮るという行為には、写真文化を育み、すそ野を広げていくという意味が見出せるということでもある。プロフェッショナルだけが、写真を生み出すわけではないのだと。撮るという行為は、アマチュアもプロフェッショナルも関係なく、まずは、楽しくなくてはならないんじゃないか?、という呼びかけでもある。

PENTAXがレフ機にこだわる理由も、そういう、撮るという行為にまず文化的価値があるんだという価値観からみれば理解ができるのではないかなとも思います。

 

いやー、なるほど、良いですね。 

写真文化にとって、最後にアウトプットされる画像だけが問題なのではない、撮るという行為もやはり大切なのではないのか、と問いかけてくる。

 

と、一人で語って、一人で納得。

J Limitedの取り組み、応援しております。

そして、のちのち、パーツのみの販売もあると…良いなあ。どうかな。

しかし、KPのグリップを交換できるという、元からして必ずしも必要のないギミックをこういう形で生かしてくるのは、最高ですね。

私は、こういう一見無駄なものをこそ愛したい。

 

いやまあ、KP、カメラの機能としても、特にノイズ処理はAPS-Cとしては、特筆すべきものがあるとは思いますので、お勧めできます。

 

J Limited、多くの人が手に取ってくれると良いなぁ。

 

と。ではまた。


 
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