シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

星景サルベージその55 対峙する

うーむ。

かなり暖かかった最高気温20℃超の気温から、ここ数日は、ぐっと気温が下がった感じがします。

先週末は、曇り空だったこともあり、プラネタリウムだけ行って撮影はお休み。

いや無理をすれば、晴れ間もないこともなかったかもしれませんが、ちょっと無理をするにはお疲れでした…。そして、今日も曇っている。うむうむ。回復させてもらおう。

 

プラネタリウムは、オープニングのプログラムが終わり、新しいものに変わっていました。高知みらい科学館のオリジナルでつくっているらしい。

この先、全番組を見るということができるか…どうか…?さて…。

でも、そんなことを考え始めると、あれなので、気楽にいきましょう。気楽に。行けたら行く。

 

ふたご座流星群に向けて

さあ。今週末がいよいよふたご座流星群ですね。

どうも、天気予報も良い方に転がりつつある感じはします。あとは、場所ですね。ロケーション。

どこで撮るか。

西の方にいる感じな気配なので、西の方の天気が良いことを祈りつつ。今のところ、高知県全域、四国山地が仕事をして晴れそうな感じが出てきています。

 

www.nao.ac.jp

国立天文台のサイトも見ながら、ぜひ、予習を。

 

14日の月の入りは23:06ということらしい。

この月が沈んでから、15日の夜が明けるまでが本番ですね。

いやー。しかし…寒いだろうなぁ。朝まで撮れるかどうかはちょっと確証を持って言えない。とにかく、防寒は最上級でいかないといけませんね。特に足先が冷えるというのが去年の教訓。何かしらの対策をしなければ。

いくつか流星を見たいということなら、日が変わる頃に、どちらの方向でもいいので街明かりのない方を向いて、30分ぐらい空を見上げていれば、ほぼ間違いなくみえるだろうと思います。

まあ、月が出ていても、22:30くらいには、ふたご座もそこそこ高くまであがっていますので、月のない東の方を向いてみていれば、流星をみつけられるでしょう。おそらく。

 

というわけで、前置きが長くなりましたが、今回も選外だったものをサルベージです。

 

対峙する

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PENTAX KP レンズ HD DA20-40mm Limited  焦点距離20mm

ISO100 SS840秒 F2.8 

2018.9.17 高知県土佐にて

 

東の空から昇るオリオンと対峙するように長秒露光で撮る。

オリオンは冬の星座ですが、これは実は、上にもあるように、まだ残暑の9月、2時くらいに撮ったものです。ただ、これから冬の寒さに耐えながら、オリオンの姿を捉え続けることになりますので、まさに冬の象徴的な星座です。

 

このところ、デモクラティックな写真とは何かということを考えながら、撮り続けています。いや、というよりも、写真というのはその在り方において、本質的にデモクラティックなものなのだろうと。

 

デモクラシーとは何かというと、それは、主体的な、それゆえに変革を目指さざるをえない個の在り方であるということが出来ます。そのデモクラシーがどこに生まれてくるのかと考えたとき、それは、自然や社会に対峙する者としての個人の中に芽生えるのだと見出し得るでしょう。自然や社会というものに対して向かい合って、それを変革していくというあり方にこそデモクラティックな個というものが育まれていく。

そして、写真というメディアは、この自然や社会という対象物に働きかけて、その様々な可能性の中から一つの様態を選び取っていくものである、つまり、対象の在り方を決めていくという意味で対象を変革するもの、と定義できるのではないでしょうか。であるならば、写真という「対峙する手段」を通して、その後ろにいる撮影者としての個の中にデモクラティックなあり方が生成していく。

 

マルクスは、フォイエルバッハに関するテーゼ(最も有名なのは第11テーゼ、「哲学者たちは、世界を様々に解釈してきただけである。肝心なのは、それを変革することである。」)において、

第3テーゼ:人間は環境と教育との所産であり、変えられた人間はつまり別な環境と改められた教育との所産である、という唯物論的学説は、環境がまさに人間によってこそ変えられること、そして教育者じしん教育されなければならないことを忘れている(反作用)。…(中略)…環境の変更と人間的活動との合致は、ただ変革する実践(革命的実践)であるとつかまれてだけ合理的に理解されることができる。

と記しました。

つまり、自然を変革するとき、私たち自身もまた変革されると…。

それを写真という行為に当てはめれば、写真を撮ることによって自然をありうる可能性の中からあるひとつのあり方に収れんしたものとして選び取るという意味で、変革している以上、それを撮る撮影者もまたその写真を撮る行為によって変革されているということでもあります。 

言い換えれば、写真を撮るという実践の中に、変革する実践者(主体者)を育まざるをえないのが、写真という表現であるのです。ゆえに写真は本質的にデモクラティックだといえるでしょう。

 

そこでは、一枚一枚撮影される(そして、このようにブログやSNSなどの形で展示されていく)写真が、自分というものを変革する(かすかな、しかし確かな)契機として機能する。そこで起こっていることは、本当に弱く、かすかな逆照射作用でしかないのかもしれません。だから、そこに照らされて生まれる個は、ある意味で弱いものであるはずです。

その弱いものを積み重ねることによって、一つの主体性をより合わせて紡ぎだしていくというあり方。強い個を確立するというのも一つのやり方だろうとは思いますが、やはり自然や社会という圧倒的なものに対して、個の主体性というのはそれ自体では相対的に弱く限界を持ったものだといわざるを得ないのです。その一つ一つは弱い主体性が相互に結びつくことによって社会や自然をも変革する「強さ」を得ていくのですが、私はまずその一歩目としての弱さを写真表現としても大事にしたい。一枚一枚が、強い力は持たない弱い写真だとしても、それが積み重ね続けられるところに(まさに、その実践の中に)、弱くとも主体的な個が浮かび上がる。

そういうあり方を写真表現としても目指したい。

 

と。長々と語りましたが、つまり、派手で素敵な力強い写真というのは、私は撮れないんですけど、そして、そうである以上また選外になる可能性が高いんですけど、それはそれとしてめげずにサルベージしていきます、という長い言い訳です(笑)

この長秒露光という手法は、星の主張が和らぐので、そういう意味では、ある種の弱さを内包した手法なのかもしません。なので、こりずにまた使っていきたいと思います。

 

ということで、サルベージでした。

さて…ふたご座流星群…晴れてほしい…!

 

 

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