シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

星景サルベージその47 灯火(ともしび)

いやあ。雨が降りしきります。

週間天気を見ても、晴れる気配がない…。9月は天候が不順ですね。

ああ~。彼岸花撮りたいのに…!あと、コスモスも…。

 

ああ…本当に更新するネタがない

…のだが。

何とか絞り出して、更新しておこうと思いつつサルベージ。

 

この一枚は、リコーイメージングフォトコンテスト2018に出したものの一つです。

www.ricoh-imaging.co.jp

募集要項を見ると、個人のホームページ等に出したものはOKとのことなので、もう、ネタがないので、この際先に出してしまうという荒行

これを出すか、この間、読み漁っている写真論を書くか迷ったんですが、写真論はもう少し時間をもらいたい。いや、誰も待っていないと思うし(笑)

 

いや、でもね(と、結局語り出す)。

この間、写真表現とデモクラシーというのは、やはり歴史的に分かちがたく結びついているものだという認識に達しています。

 

このデモクラシーの危機の時代に、写真を通じてデモクラティックな個を、たゆまず紡ぎ出していけるかどうか。

巨大なグローバル企業が国を越えて政策に影響を与え、格差が広がり、デモクラシーの基礎となるべき「個人」は貧困やそれと表裏一体でもある商業主義の中で、社会との接点を疎外されて、あまりに希薄な存在になりつつある。

しかし、デモクラシーは危機をはらみ、個の疎外を進めながら、だからこそ社会に包摂しきれない個が現れては漂い、そこに目を向ける意味が問われざるを得ない。追い込まれるが故に、アクチュアルになるデモクラシーの意味。

 

写真を撮ることは、世界のその瞬間を焼き付けることなのですが、その行為に逆照射されて、撮影者の存在がかすかに浮かび上がる。そこにデモクラシーへの小さな足がかりが生まれ続ける。

私は、社会派の写真を撮る訳ではないのですが、どんな写真を撮るのかというテーマはことここに至ってはあまり意味はないかもしれません。

カメラ付きスマートフォンが各人にいきわたり、それも含めて、毎日毎時間毎秒撮られ続ける無数の写真が現にあって、おそらくは、いま、人類は、過去にない「写真時代」を生きているのです。そこでは、その人の人生のアーカイブとしての写真が日々生み出されている。

つまり、撮った無数の写真が総体として、その撮影者を照らし浮かび上がらせている。それゆえに、写真一枚一枚はもはや決定的な意味を持たないのかもしれないけれど、日常に浸透した写真を撮るという行為が、行為そのものとして日常不断に個を照射し再定義し続けてもいるという状態が見えてきます。

その写真の逆照射作用を通じて、(弱く)浮かび上がる個を定義づけながら、写真を撮る。そこにたえず現れては消えるデモクラティックな意味を見出しつつ。

ただ、そこには、現代ならではの陥穽(落とし穴)もあって、写真が個を逆照射するゆえに、作品そのものよりも誰が撮ったかに過度に依存をしてしまうという状況を生むのかもしれないし、また、いつでもだれでも写真が撮れるがゆえに、すでに作られて出回ったイメージの中に同化し、容易に回収されて埋もれてしまうのかもしれない。もっと言ってしまえば、先行イメージとの同化にむしろ価値を見出してしまうということも起こりうる。…後者は個の没個性化であり、デモクラシーとしての写真という文脈から見れば、写真のファッショ(ファシズム)化のようにも思えてしまう…。

この文脈の中で、では、私は、どう写真を撮るのか、という問いがおのずと生まれてくる、という。

 

うーむ。

完全には、まとまってないのですが、なんとなく伝わりましたか?

また、その内、まとめて書きますが、強引にまとめると、写真を撮る意味とは何だろうといったときに「それはあなたが何者であるかを示すことなんだよ」と。結局、そこそこ語ったな、おい。

 

今は、この辺を読み終わり、次の獲物を探しています。

私が、どちらに向かっていくのか、その過程を楽しんでください…(笑)デモクラシーはいまここにあるんですよ…(かっこいいこと言った)。

 

灯火(ともしび)

f:id:shironagassu:20180920163019j:plain

PENTAX KP レンズ HD DA 15mm Limited 焦点距離15mm

ISO200 SS960秒 F6.3 

2018.9.10 高知県越知町にて

 

16分露光一発撮りの作品です。

集落の明かりに照らされる沈下橋と、北極星を中心にまわる北の夜空。

少し絞ることで、集落の街灯に光芒を出しつつ、自作ハーフソフトフィルターで星の方は少しにじませています。

灯火(ともしび)という題名は、直接的には、この集落の街灯と北極星のことを指しているわけですが、そこには、存在の証としてのともしびという意味も込めています。

人の暮らしの息遣いが星空と出会う場所に星景写真が生まれる。と。

 

そして、前のデモクラシーの議論に戻ると、それを写す撮影者としての私自身が(暗いトーンでこちらに向けて浮かびあがった沈下橋の延長線上に)ほのかに浮かび上がる…という。

そういう意味合いです。

 

うーむ。全部、言葉で説明した(笑)

 

ただ、写真だけ見ると、トーンが暗いかなと、ISOが200と低いので、描写は緻密でプリントにしても雰囲気は良かったですが。暗いかなぁ。

表現したいものは表現したけど、自信はないなぁ。

 

と、いうことで、ネタがないので無理やりサルベージでした。

実はもう一枚送ったんですけど、それは、県展の作品とも対になる奴なので、それは県展のをサルベージするときに出すようにします。

 

そして、このまま、雨が降り続けると、私は、書くことがなくなるので、昨日、勢いで買った安価なフラッシュのことか(まだ来てない)、がっつり写真論を書くかしかなくなります。

でも、面白くないですか写真論。いや、私のはどうかはともかくとして、写真を撮るとはどういうことか?というの、考えてしまわないですか、しまいますよね?(と無理やり同意を求める)

 

まあ、写真論書き出したら、いよいよ、ネタがないんだなと、温かいまなざしで見守っていただくと助かります。

 

では、また。

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