シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

星景サルベージその42 10万光年の孤独を想う【Redevelopment】

うーむ。

よし。やりましたよ。

リコーイメージングPENTAX)の第2回「とっておきPhotoコンテスト」で、写真が採用になりました。よーし。

 

ssl.asukanet.co.jp

 

WEBで見えるほか、いくつかの店舗でも展示してくれるらしい。うーむ、実物を見たいがちょっとどれも遠いかなぁ。

<展示スケジュール>
ヨドバシカメラAkiba店/ヨドバシカメラ梅田店/ビックカメラ有楽町店 → 8月末以降、順次展示予定

リコーイメージングスクエア大阪 → 9/1(土)~9/14(金)予定

リコーイメージングスクエア大阪 / コミュニティ | RICOH IMAGING

リコーイメージングスクエア新宿 → 9/22(土)~10/5(金)予定

リコーイメージングスクエア新宿 / コミュニティ | RICOH IMAGING

※展示スケジュールおよび展示店舗は予告なく変更の可能性もありますので、あらかじめご了承ください。

ぜひ、お近くの方は見ていただくと嬉しいです。

 

10万光年の孤独を想う

f:id:shironagassu:20180821112350j:plain

PENTAX KP レンズ DA 10-17mm FISH-EYE 焦点距離10mm

ISO6400 SS60秒 F5.0  アストロトレーサー使用

2018.2.17 高知県土佐市にて

 

採用されたのは、この写真。アストロトレーサーの作例として、送っておきました。

実は以前、

shironagassu.hatenablog.com

このエントリーで同じ日の写真は公開していまして、タイトルは同じです。

その時も書きましたが(書いたっけ?)、このタイトルは、谷川俊太郎氏の「二十億光年の孤独」へのオマージュになっています。

谷川俊太郎/ポエトリージャパン

 

スケールが小さくなっているのは、天の川を見た私の連想力が天の川の広さの10万光年で満たされてしまったからですね。この銀河の中の孤独を、片隅の惑星から感じているというような意味合いになります。

 

以前のエントリーで公開したのとカットが違うのですが、この日は、天の川が水平線から昇ってくると天の川の明かりで海面が少し明るくなるというレベルの快晴(さすがにそのレベルの好天候はなかなかない)でして、その雰囲気が一番出た一枚ということになります。

左側に光害(高知市の明かり)があったので、本来3:2のアスペクト比を4:3にして両サイドをカットしています。

 

現像時の色味については、これは白色蛍光灯Wでカスタムイメージ・リバーサルフィルムで現像したものになるのではと思います(おそらく)。

 

星景写真の色温度について

もののついでに。

最近、ツイッター界隈で、星景の色温度の話題が出ていて、私は静観しているんですけど、まあ、人のはともかく自分の作品については、ステートメントを出しておかないといけないかもしれませんね。それにしても、今回のはかなり紫に寄せてますね。

 

私の場合は、ご覧のとおり、紫がかった現像を基本にしています。というのは、どこが源流かわらかないのですが、おそらくこれまでの人生で、ゲーム作品やSF作品などを通して、感じてきた(刷り込まれてきた)宇宙の色というのが、このディープパープル色なのです。

だから自分の好みでこの色にしているというよりは、そういう(大衆の/ポップあるいはロー)カルチャーの文脈に沿う形で現像しているわけですね。でも、それが決定的に、何(どの作品)に影響を受けたのか、記憶を頼りに、いくつかのSF作品やシューティングゲームなどを検索してみたんですがよくわかりません。もしかしたら、そういうもの(具体的な作品)は存在しなくて、私の観念の中に生じたものなのかもしれません。

そういう意味では、少なくとも私の宇宙に対する観念を、具現化したらこうなる(※本人の認識としては、ゲームやSFのポップカルチャーに由来する)ということです。

 

なので、実のところ、これにこだわっているというわけでもなくて、実は、カスタムイメージのクロスプロセスを使って退色した色合いにしたり、モノクロで現像したり、銀残しでやった時もあったりと、色々しています。

総合すると、客観的なありのままを写し出したいというよりは、自分の観念を加えて具現化したいということが主ということになります。その是非は、あると思いますが、まあ、最後は自由にやるしかないんですけどね。

 

ここは、写真というものが何かという事にも関わってくるでしょう。

私は、唯物論者なので物の実在性というものには信念をもっていて、被写体というのはすなわち客体になるんですけど、それを写し取るという行為(とその結果としての写真)は、もう一方の実在である自分自身(とカメラ)の影響を受けているはずだと考えています(さらに言えば、その行為(と客体)が、逆説的に主体側にも影響を与えているはずだとも)。

言い換えれば、写真が、いかに客体に忠実に見えても、本質的には、主観をもって写し取ったものでしかない、と思うわけです。そもそも3次元を2次元にしてますからね。時間の流れも含めたという意味では4次元を2次元にしている。これは、いくら写実的だといっても、やはり別物だろうと思うわけです。

 

なので、写真というのは、私にとって、ともに唯物論的に実在するものとしての主体と客体の関係性の中に生じているものというスタンスなのです。この時、主体と客体は断絶しているわけではなくて、主体的な実在(である自分とカメラ)が、客体的実在(である被写体)を包摂した結果としての写真というアウトプット…。客体を、「主観とカメラ」というフィルターを通した結果の出力が、写真であるといったらいいのか。

加えれば、この時、撮影者の主観を極力排したとしても、原理上、カメラをつくる、レンズをつくる、フィルムをつくるという過程にも必ず主観的要素が入るだろうと思っているので、写真はこの主観という宿命からは逃れられないと…。…うーん。どうだろう。

ここら辺は、もっと写真論みたいなものを、勉強してみないといけないですけど…、おそらく唯物論の立場から、写真を撮るという考え方については、誰かが何か書いていると思うんですが、…。

 

でも、主観を入れない、写実そのものとしての写真を追求するという潮流もあるでしょう。客観的実在をそのまま写す写真という考え方、(絵と比べると特に顕著に)主観をそぎ落とすことが可能な写真というメディアの特性。…うーん。唯物論者として写実を極めるというのは、それはそれで、屈託のないまっすぐな在り方のような気もするんですが…。私にとっては、客体も実在ですけど、こっちの主体である自分自身とカメラもまた実在なんですよね。

まったくそこらへんの写真史に詳しくないので、…もっと勉強が必要ですね。が、少なくとも、写真の中には主体の観念(主観)が混ざりこむんだというのが現時点での私の考えなわけですね。

唯物論 | 現代美術用語辞典ver.2.0

 

と、えー…。論が長い。

なので、星景写真の色温度は、(実在としての)私が持つ主観に左右される、ということなのです。

 

それはともかく(いや、ほんとにともかくだよ。話がわき道に逸れ過ぎた)、いやはや、うちのアストロトレーサー作品が、公式に採用されたことは良かった。

いよーし!

これはアストロトレーサー使いとして、少なくとも使い方は間違っていなかったということの証明であるといっても良いような気もしないでもない。良いか?良いよね。

これからも創意工夫してアストロトレーサーを使いこなしたいと思います…。

 

私の作例が少しでも、参考になって、O-GPS1が売れるといいが、どうだろう。あんまり自信はないな(笑)

 

関連エントリー

shironagassu.hatenablog.com

 

shironagassu.hatenablog.com

 お。この時のトップ絵に今回の作品を使ってますね。

 

ではでは。また。

 

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