「この世界はいかにして在るのか」。
この根源的な問いの答えを人類は探し求めてきた。
そして、たどり着いたひとつの到達点が素粒子物理学の「標準模型」という理論だ。
本書は、この「標準模型」がどのような道のりをたどって作り上げられたのか、物理学の歴史をひも解いていく。
著者は、宇宙物理学を専門とする米国の理論物理学者ローレンス・M・クラウス。サイエンスノンフィクションは、専門家やサイエンスライターが、読者を専門分野に道案内してくれるものだとするならば、この一冊は、素粒子物理学の現在に向けて読者の手をひいてくれる最高のガイドになっている。
原点
著者のクラウスは、これまでも多数のサイエンスノンフィクションを著わしている、この分野の巨人の一人といえる。
何を隠そう、私が、サイエンスノンフィクション読みになるきっかけを作ったのが、彼が10年前に書いた「超ひも理論を疑う」だった。
当時、ひも理論について、詳しく知りたいと思いながら、何から読み始めたらいいのかわからないまま、批判的なタイトルにひかれて、手に取ったその一冊が、私をサイエンスノンフィクションの虜にした。
そういう意味で、私の原点ともいえるような、非常に思い入れのある著者でもある。
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正直、この「超ひも理論を疑う」の内容が、当時よく分かったかといわれると今思えばなかなか難しかったと思う。
が、そこで描かれる世界の描像はとても刺激的だった。あれから、10年。私もサイエンスノンフィクションを読み続けてきたわけだが、この「偉大なる宇宙の物語」は、サイエンスノンフィクション読みの端くれとして、マストな一冊だと、自信をもってお勧めできるものとなっている。
「洞窟の比喩」
本書は「標準模型」という、現代物理学がたどり着いた世界への理解が、いかに発見されたのかをたどる上で、まず、プラトンの「洞窟の比喩」から、物語をスタートする。
プラトンの「洞窟の比喩」は、洞窟につながれ外に出たことのない囚人が、洞窟の壁に写る光で照らされた影を現実と思い込んでいるというたとえだ。つまりは、認識の外に、本当の現実がありうるということを一種の思考実験として示したものといえる。
本書を通して、読者は、このプラトンの「洞窟の比喩」が本質的に、この世界に当てはまっていること、つまり、目に見えていることが、世界のすべてではなく、世界の本質的な仕組みは、別にあるのだということを理解していく。
本書は、サイエンスノンフィクションの中でも、「科学史もの」の一つといえる。(そんなジャンル分けがあるのかはわからないが、私の分類では…(笑))
多くの物理学者がかかわって、一つ一つ、電磁力や重力、強い相互作用、弱い相互作用という4つの基本的な力の働きを解き明かしていくこの物語は、エキサイティングそのものだ。物理学者一人一人の個人的なエピソードも、生き生きとしたタッチで描写しながらすすむ本書は、全編を通じて退屈をしない。
確かに少し噛み応えはあるが、このくらいの方が逆に読み終えた時の爽快感が違うというものだ。
そして、その発見の物語が、一直線には進んでこなかったことも、丁寧に描き出していく。そこで語られるのは、一部の天才が、天才的ひらめきをもって発見を重ね物理学を進めてきたという英雄史観的なストーリーではない。むしろ、人類が全体として、この世界の不可解な現実に向き合いながら、一歩一歩、暗闇を手探りで進むように真実に向けて進んできたのだという、著者の強いメッセージが感じられる構成になっている。
この本の原題は「The greatest story ever told-so far」。
The greatest story ever toldというのは、一般的には、聖書を指すもののようだ。そこに込められた、著者の挑戦的な思いが垣間見える。この世界を根本的に理解しようという、人類のたゆまぬ試みこそが、「最も偉大な物語」なのだという強い信念の下にこの一冊が書き上げられているのだ。
そして、最後につけられた、「so far」つまり、「今までのところ」という、言い回しがにくい。
人類の根源的な問い「世界はいかにして在るのか」について、人類は確かに「標準模型」という、ひとつの到達点に立った。がその頂に立ってみると、その先に、さらに、ダークマターやダークエネルギーなど、「標準模型」では説明できない様々な現象があることが見えてきている。
そう、この人類の「最も偉大な物語」は、まだ現在進行形で、終わってはいないのだ。
人類の「最も偉大な物語」はこれからも続き、そして、あの問いが、世界のどこかで今日も問い続けられる。
はたして「世界はいかにして在るのか?」、と。