生物は世代を超えながらわずかに変異をしつつ、環境適応に有利な変異を得た個体は生き残り、そうでないものは淘汰されていく。これが進化だ。
では、環境に適応する「最適者」はどうして生まれるのか。
それは「種の起源」とは何であるのか、という問いでもある。
これまでにない切り口から、進化のメカニズムに新たな光を当てる一冊。
以前紹介した「数学で生命の謎を解く」とタイトルは似ているが、また違った角度から、数学とコンピューターを使った生物学の発展の姿を描き出していく。
ランダムを科学する
ダーウィンに始まる進化生物学は、この150年の歩みを経て、大きな発展を遂げてきた。
その核となる考え方が「自然淘汰」による「進化」である。自然淘汰が起こるためには、世代を超えて親から子へ生物が少しずつ変異をしていく必要があるし、現実の世界を見れば事実としてわずかに変異をしながら、世代がつながっていく。
自然は、その変異のわずかな差に働きかけて、最適者を選び自然淘汰のメカニズムを発動する。
しかし、では、この変異は、どのように生まれるのか。
元来この変異はしばしばランダムという言葉であらわされてきた。しかし、それは本当に単なる偶然(ランダム)なのか。その偶然にどういった洞察を与えることができるのか。
これは、ダーウィンが著わした「種の起源」がその名にもかかわらず、種が生み出される起源そのものについて、むしろ大きな謎を残した、その課題に答えるものでもある。
生物のイノベーション能
最適な変異を生み出す生物の仕組みを、著者はイノベーション能と呼び、その重要性を指摘する。
本作では、代謝、高分子=タンパク質、遺伝子の制御回路という3つの題材を選びながら、どのように、生物が新機軸をつくる(イノベーションする)のかを解き明かしていく。
代謝=5000種類の代謝(生物が何を栄養にしてエネルギーを取り出し生きるのか)の組み合わせ=可能な代謝の数は2の5000乗
高分子=20種のアミノ酸でつくられるタンパク質の多様なあり方=100個のアミノ酸でつくられるタンパク質の数は10の130乗以上
調整=遺伝子が互いに抑制・促進しあいながら複雑な回路をつくって発生を制御する仕組み=40の遺伝子としても10の700乗以上
それぞれにおいて、可能な組み合わせを数学的に計算し、コンピューターでシミュレートしていく。
これを万有図書館というアナロジーであらわす。全宇宙に存在する水素原子の数(10の90乗)をはるかに超える組み合わせの可能性それぞれを一冊の本として、それがつまった図書館というイメージで話をすすめる。その本一冊一冊は、意味の通るものも通らないものもあるだろうが、少なくとも膨大な組み合わせがありうることを著者は明らかにする。
この図書館は「万有」なので、事実上とりうる可能性のすべてがつまっているのだが、ある一点から初めて、この本の中身を一文字ずつ変化(つまり変異)させても、本の意味を保ちながら、この図書館の広い「空間」を、生物が「歩き回れる」ことを丁寧に示していく。
これはまさに自然淘汰の中で、不適者として死につかまらずに、生物がいろいろな表現型を発現できるということを数学的に示すアナロジーでもある。この図書館を歩きまわることのできる道筋を著者は「遺伝子型ネットワーク」と呼ぶ。
詳しくは本書を読んでもらうとして、この万有図書館と遺伝子型ネットワークという考え方が本書の鍵である。
万有図書館の中での複雑で膨大な解決策
代謝、高分子(タンパク質)、調整それぞれの万有図書館に準備されている解決策は一種類ではなく複雑で多様で多重だ。
これによって生物は多少の変化で動じない「頑強さ」を持ち、多様な環境に適応していく。
万有図書館の遺伝子型ネットワークを使って少しずつ変異を重ねていけば原理上、どんな適応も果たすことができる、ということになる。事実、地球上のあらゆる環境に生物はすでに適応してもいる。
ただ地球の生命が誕生して数十億年を経ても、この万有図書館がすべて探索されたわけではなく、その意味で生物のイノベーション能も尽きることがない。万有図書館とそこに含まれる多様性が生物の変異の尽きることのない源泉だと著者は言う。
この万有図書館と遺伝子型ネットワークを著者自身は、物理的実在性があると述べる。しかし、果たしてそうなのかはなかなか難しいところだ。
この点は物理学と超ひも理論の関係に似ているようにもみえる。
超ひも理論が物理学に非常に優れた洞察を与えその発展に寄与しているが、その物理的実在性については、たしかなことは今のところ明らかにはなっていない。
物理的実在かどうかはともかくも、この万有図書館と遺伝子型ネットワークという考え方は、生物学に深い洞察の光を投げかけるものであることは間違いない。
読者は、この本を通じて、コンピューターと数学がもたらす生物学の発展の新しい局面を見ることができるだろう。