本書は、星の和名の収集で名高い「星の文人」野尻抱影の随筆集である。
今は亡き(準惑星となった)プルートに和名「冥王星」と名付けたのも著者とのこと。
星の情景の表現が非常に豊かで、詩情深い。
多彩なボキャブラリー
星の輝きを表現する多彩なボキャブラリーが素晴らしい。
例えば、こんな感じだ。
中空には獅子座が金色の大鎌を懸け、東の空から乙女座がその宝玉スピーカを捧げて現われ、その北に橙黄色に輝く牛飼座のアルクトゥールスも同じ光の冬のベテルゲウズほどに凄まじげではない。(春の星空、P57)
何よりもシリウスが虹の七いろにあえいでいる姿がすごいようだった。(山市初買、P125)
谷の空に青白い星が一つ光っているのが目に入った。それは、織女――琴座のヴェーガだった。この瞬間に僕は「お前、そこに来ていたのか」と声をかけたいほどのなつかしさを感じた。(登山と星、P148)
星の表記も古風なのが、味わい深い。
死や別れと星
星は周るという本書のタイトルがあらわしているように、このエッセイ集の一つの主題として、星は地上の出来事とは無縁に、1年を移り変わっていくものだという、著者(と編者も、だろうか)の思いがある。
星は、ある意味で残酷で無情だが、一方でそれが救いでもあり喜びにもなる。
著者は、表題のエッセイの中で、病床(インフルエンザで亡くなってしまう)に伏した妻に、「空で一番きれいな星を覚えているかい?」と語る場面も出てくる。
また、1945年に60歳を迎えた抱影であったから、時代がら、いくつかのエッセイの中には戦争の影も見え、めぐる星々と別れの対比を思わせる。
一方で、星を知るものは、季節の移ろいを敏感に感じることができ、それが何よりの喜びであるとも指摘している。
著者は、星座のうちでオリオンの雄大さを特に気に入っていたようで、本書の中でも「私が死んだら行く星は、……やはりオリオンときめておこうか?」と書いてある。最後の言葉は「私の死後の連絡先は……」だったそうだ。
本書は、生と死を空のかなたからみつめる、悠久の星々の息遣いを感じさせる一冊となっている。「星の文人」野尻抱影が星に込めた思いを拾いあげてみたい。
巻末にはいくつか、ほかの著作も紹介されているので、メモしておこう。
春、夏、秋、冬とあるようだ。4冊。
これ電子書籍版で、持ってます。星の和名紹介の決定版。