シロナガス/星景写真と科学本のブログ

「暮らしの中の星空」=星景写真+サイエンスノンフィクション書評。PENTAX使い。

【書評】ジャスト・ベイビー 赤ちゃんが教えてくれる善悪の起源

なぜ、サイエンスライトを読むのか、理由は人それぞれあるのかもしれないが、多くの人が納得する理由のひとつは、自らの認識を広げたいからだ、もっと平たく言えば知らないことを知りたいからだといえるのではないだろうか。

 

そういう意味でこの本は、その欲求を十分にかなえてくれた。いや、赤ん坊がデザインされた可愛らしいカバーとは裏腹に、中身はなかなかハードで、見識を広げてくれるというよりもむしろ叩き開かれるといった感じすらあった。

なかなか、力のある本だといえる。

 

 サブタイトルに、善悪の起源とあるように、人間の善悪の判断=道徳観をあつかったものだ。

著者は、発達心理学者であり、赤ん坊の認知科学の専門家でもあるようだ。その視点から、人間の道徳観について解き明かしていく。

 

深い森に踏み入る

私自身、心理学系のサイエンスライトはあまりよんだことがなかった。いってみれば、この分野は私にとっては、身近にありながら深く入り込んだことのない豊かな(そして往々にして暗い)森のようなものだ。

この深い森へ、著者をガイドに踏み入っていく。そんな感覚を覚える一冊だった。

 

人間の善悪というのは、古くから論じられてきたテーマであるが、科学、特に、進化や、進化に伴う性質の獲得についての知見が深まる中で、新しい光が当たり始めているともいえるようだ。

人がもっている善性や悪性といったものが、進化のメカニズムの中で理解されるようになってきている。

そして、この知見を下敷きにしながら、著者は、発達心理学者としての見方を加味する。

単に生得的な性質としての善性、悪性に加えて、人間の発達に伴う(つまり合理的、理性的な判断を積み重ねて後から獲得する)道徳観の成熟も考慮すべきだという。

現在の、人間の善悪に対する見方のトレンドは、神経メカニズムの(生得的)無意識の作用だというものであるらしく、著者はこのことに疑問を投げかけている形だ。

 

つまり、著者によるこのガイドツアーは、著者の発達心理学者としての視点から語られている。この分野にうとい私には、著者の論が確からしいと自信をもって請け負うことはできないが、少なくとも、本書を読みながら、納得をしつつ、森の奥へ奥へと進んでいったように思う。

 

ハードな事例

本書は、人間の善悪をテーマにしている以上、いろいろとハードな、人間の暗い側面が出てくるのは否めない。

サイコパスの殺人者や、近親相姦、ナチスの虐殺など様々な例を出しながら、善悪の起源をのぞいていく。

 

取り上げられる様々な事例は暗いものも多かったが、最も衝撃を受けた事例は、むしろ好意から、驚きを感じるものだった。

それは、ニューヨークの街角にくらすホームレスのゲイの少年たちの生活についての事例だ。

まず、そういうコミュニティがあることが本当に衝撃的だった。私自身同性愛への偏見はないのだが(ここは最大限強調しておきたい。偏見とは逆に、この事例に心底リスペクトを感じた)、まずこのコミュニティの存在自体が非常な驚きで、最大級の関心を持った。いやしかし、厳しい境遇であるという意味ではこれもまた本当にハードな事例なのだが…。

その中では疑似的な家族が構成されていて、母親や父親として少年がほかの子供たちの世話役になっているのだそうだ。

できれば、このことについての文章があれば読みたいところだ。また、探してみないといけない。

 

発達心理学者として人間を見る

発達心理学者すべてに共通する人間観というものはないのかもしれないが、この本を読んで、少なくとも著者には、人間の成長、発達をつぶさにみていく発達心理学者として、人間の精神の成長への期待や確信があるのだな、と感じた。

 

著者の「嫌悪」(おそらく原文はHATEだろうか?)に対する見方がそれを表しているし、私自身それに共感する。

嫌悪に関係する直観は、どんなによくても必要のないものであり、最悪の場合、不合理な政策に動機を与えたり、野蛮な行為を正当化したりする有害なものである。

嫌悪の歴史を見れば、ナチスが嫌悪を口実にユダヤ人の虐殺という過ちを犯したのは明らかである。「それをなぜいま信じるべきなのか?」と著者は問う。

「嫌悪は道徳的能力ではない」という著者の言葉は、力強い。

 

著者のガイドを受けながら深く暗い森を、驚きを持って歩いた私は、また、この森へ、今度はまた別のやり方で来てみようかと思わされた次第だ。

価値ある一冊との出会いに感謝したい。